≪声の幽韻≫松平頼則から奈良ゆみへの書簡 95
松平頼則氏に関しての奈良ゆみさんの所蔵する手稿など 78
「松平頼則氏から奈良ゆみさんへ送られた手紙Fax」 第77
1989年11月4日
Ma chérie ! Mlle Yumi
今日は何と嬉しい日でしょう! 思いがけずにMlle Yumi
の手紙が来るなんて! しかも疲れていらっしゃるのに!
長い手紙! 素敵な内容!
私の方は淋しさをまぎらす爲に「桂」の伴奏をPiano version
にしてPhotocopisteに送り思いがけず早く仕上って2日
に家に届けてくれるといって来たのに その日になってTaxi
がつかまらないから3日になるといって来ました。
暦を見ると3日(祭)土・日は郵便局が休み。だから月曜
(現時点で明後日)でなければ発送出来ません。フメンは机の横
で眠っています。結局この手紙と同時に着くでしょう。
(編者注/Ma chérie ! Mlle Yumi !は、最愛の人!ゆみ嬢!。 Piano versionは、ピアノ版。Photocopisteはコピー業者。後年には「コピーセンター」と書かれた。Taxiは、タクシー。フメンは譜面)。


9月10月そして11月もスケジュールが一杯なのは精神的
にも肉体的にも疲れるのは当然ですが Parisでこのような
状況にいるMlle Yumiはほんとうに大したものです。
Mlle Yumiの成功の爲なら私はどんな辛棒でも
しようと決心しているのです。2ヶ月の手紙なしのことなど!
Fontecの原稿にも「スケジュールに追われ快く疲勞し
忽ちフェニックスの様に彼女は生き生きとなる」と書き
ました。よく夢を見ることも それは表現と演劇性
との結合の原型である」とも。
(編者注/Parisは、パリ。FontecはCDのレーベル名。1989年11月25日に発売された『奈良ゆみ/サティのうた』奈良ゆみ(S)ジェフ・コーエン(P)FOCD3256 のために松平氏は文を書いた)。
毎日毎日cassetteを聴きます。そして聴けば聴くほど
Mlle Yumiが恋しくなります。それの繰り返えし
Tendrementの歌詞そのまゝの病状です!
始めは全体を一つのMasseとして聴いていました。
今は細かく一曲一曲をきいています。
そこで気がついた事は(何と怠慢!)Mlle Yumiの1粒
1粒の音に対するsoin。
私が無名でヨーロッパのFestivalに出た頃のことを
思い出します。その頃のS.I.M.CのFestivalは現在の
ように政治政略や物質的なからみもなく 実力対
実力の文字通りの真剣勝負でした。日本は芸術家を
生かしも殺しもしません。ヨーロッパでは生きるか死ぬか
です。当時の有名なヨーロッパの作曲家達に対して
私は一音一音をそれこそ命がけで書きました。
会場で下らない作品を出した作曲家は翌日から
誰も握手もしません。完全な黙殺体刑です。
いわば劍の下をくぐって来ました。
私はそれをMlle Yumiの演奏の中に感じます。
ひしひしと、そしてmes affections respectueuses
が分離してaffectionsとrespectsという2つの
要素でMlle Yumiを愛しているわけです。
(編者注/S.I.M.Cは、Socit Internationale de la Musique Contemporaine (SIMC) 国際現代音楽協会。Festivalは、同協会主催の現代音楽祭。 mes affections respectueusesは、私の尊敬する愛情)。
Mlle Yumiの疲労のひどいのも私は心配しています。
けれどもFontecの原稿に 快く疲れ と書いたのはよく戰った
という満足感を表現したかったからです。だから忽ちFenixの
ように生きかえるのです。
Trois mélodies sans parolesやTrois mélodies de 1886
これ等は恍惚境へ私を誘います。夢のような美聲!
Allons-y chochotte, La diva de l’Empire, La grenouille
Américaine, Je te veux, そして un diner a l’Elysee etc etc
に示された高度なtechniquesとinterprétations .
特にun dinerは音楽に於ける数少ない風刺の美学に属する
もので要求される表現の幅は広いのです。それを見事に
征服しているMlle Yumi ! 独りでBravo ! と拍手を送って
います。
(編者注/Fenixは、不死鳥。以下、サティの歌曲の題が列挙される。「言葉のない3つの歌曲」「1866年の3つの歌曲」「いいとも、ショショット」「エンパイア劇場の歌姫」「アメリカ人の娼婦」「あんたがほしいの」、そして「エリゼ宮の晩餐会」などなど。techniquesとinterprétationsは、技術と表現。Bravo ! は、ブラヴォー !)。


私自身は未だ作曲能力もあり、Mlle Yumiに対しても
前述のTendrementのような気持も持ってる つもり ですが
最近 細川氏の先生のKlaus HuberがTokyoに来て
Concertをやった時、私は帰りの車をつかまえるのが大変
だらうと思っていきませんでしたが 彼が頼暁をつかまえ
「お前のおやじはもう大変な年寄りだが未だ生きてるか?」といった
のだそうです。彼とはずゐ分古い馴染みです。彼があの
Barbeを生やさなかった頃から。
も一つ上野学園の秘書から学園創立85周年に
先生も功せき者の1人として(私は何も功せきなんかない)
表しょう したいけどお1人でいらっしゃれますか?というのです。
(勿論2つとも善意の言葉ですが それが一層!)
(編者注/細川氏は、作曲家の細川俊夫氏(1955- )。Klaus Huberは、作曲家のクラウス・フーバー氏(1924- )。頼暁は、ご子息の作曲家・松平頼暁氏(1931- )。Barbeは、ひげ)。
それ故 今日のMlle Yumiの手紙は2重にも3重にも私は嬉しい!
私に生きている歡びを実感させ、Mlle Yumiの心の一部にでも
私が存在している らしい ことを知り、私の作品によるsoirée
のことにも觸れられ、そして28日の演奏のことも、そして
最後の行 “永遠の森の中でうたう小鳥になりたい……
で 私は誰にも見せない涙にくれています。
とにかく早く会いたい! いろいろのことあれもこれも......話したい!
Je vous embrasse de tout mon cœur,
Et je vous envoie mille baisers.
Toujour votre
Yoritsuné
これから又cassetteをききます。
(編者注/soiréeは夜。Je vous embrasse de tout mon cœur, Et je vous envoie mille baisers. Toujour votre Yoritsuné は、私は心のすべてであなたを抱擁します。そして私はあなたに千のキスを送ります。あなたの頼則)。
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