≪声の幽韻≫松平頼則から奈良ゆみへの書簡 79
松平頼則氏に関しての奈良ゆみさんの所蔵する手稿など 62
(「松平頼則氏から奈良ゆみさんへ送られた手紙Fax」 第61
<1989年5月11日> その2
この手紙と昨日送ったTriptyque No.Ⅱ(Shôga)は
多分Parisのお留守のお家に着くでしょう。
今頃は かつて私が独りで行ったエックス・アン・プロバンス
のあの光と匂のたゞよう夕べのようなmidiにいらっしゃる
Shôgaの歌詞は何のことかわかりません。私はそこに
魅力を感じました。
i, é,o,ta,chi,té,to,hi,ho,ya,
ra, ri,ru,ré.
これ等の14のlettersが単独で 或は組み合わされて
使われているだけです。
(編者注/Triptyque No.Ⅱ(Shôga)は、『トリプティーク Ⅱ』(唱歌)。仏語の作品目録の記載は、Triptyque IIb Shôga/Shôga 1989。
Parisは、パリ。エックス・アン・プロバンスは、エクス=アン=プロヴァンスまたはエクサンプロヴァンスAix-en-Provence。midiは、正午。
Shôgaは雅楽の「唱歌」。一定の規則に従って、楽器が演奏する旋律を、奏法の情報を含めて、声に出して歌うための体系を言う。唱歌の歴史は雅楽で始まり、能楽、長唄でも用いられるようになり、近世音楽にも広まった。
i, é,o,ta,chi,té,to,hi,ho,ya, ra, ri,ru,ré.は、イ、エ、オ、タ、チ、テ、ト、ヒ、ホ、ヤ、ラ、リ、ル、レ。
雅楽を習うとき、まず最初に雅楽の歌を歌う。この歌は雅楽の曲にカタカナや漢字の音をあてはめたもので、この歌を唱歌(しょうが)という。まずはとことん唱歌を歌い、歌えるようになったら楽器を持ち、唱歌とおりに吹く。雅楽は昔からこういうやりかたで伝えられてきた。下図は、龍笛の譜面。カタカナの部分が唱歌でその左側の記号が指使い)。


今は3番目のKoromogaéを書いています。
つまり受精卵は私の頭の中の工房に入れられ(その工房は
最も新しいmécanismeとその反対の archaïqueな
装置を何よりもoriginalitéを重んじなければなりません)。
あらゆる角度から少しずつ作られていきます。多分
あと1月(5月1ぱい)はかゝるでしょう。
(編者注/Koromogaéは、更衣。仏語の作品目録の記載は、Saïbara “Koromogae” 1989 – 1990 Nouvelle version pour soprano et piano。
Mécanismeは、機構。Archaïqueは、古風。Originalitéは、独創性)。
私のさゝやかなatelierのPianoを けしの花のMlle Yumi
のportraitで飾りたいという 私のespoirをかなえて
下さいますか? D'accord ?
(編者注/atelierは、仕事場。Pianoは、ピアノ。Mlle Yumiは、ゆみ嬢。Portraitは、肖像写真。Espoirは、希望。D'accord ? は、はい?。
後年の松平頼則氏の仕事場での写真にはピアノの前面にも、背中の後ろの壁にも奈良ゆみ氏のポートレートが飾られているのが写っている)。
作曲家にとって自作を自分の好きな演奏家に
interpréterされることは最上のよろこびです。
これは昔から現在まで あらゆる作曲家のRêve
supérieurなのです。 涙ぐましき存在!
(編者注/interpréterは、演奏。Rêve supérieurは、至上の夢)。
Je vous embrasse ardemment, très chère Mlle Yumi
< cresc.
en souhaitant votre beau succès artistique.
Toujours votre tout dévoué
Yoritsuné
(編者注/Je vous embrasse ardemment, très chère Mlle Yumiは、私は熱烈にあなたを抱きしめる、とてもかわいいゆみ嬢。< cresc.は、クレッシェンド。
en souhaitant votre beau succès artistique.は、あなたの芸術の美しい成功を望みます。Toujours votre tout dévoué Yoritsunéは、いつもあなたに献身する 頼則)。
Guillaume Apollinaire
〝Le Bestiaire″より
(編者注/ギョーム・アポリネール『動物詩集』より。書簡には一篇の詩が添えられていた)。
Illustré par Raoul Dufy
(編者注/ラウル・デュフィ画)
Le lièvre
Ne sois pas lascif et peureux
Comme le lièvre et l’amoureux.
Mais que toujours ton cerveau soit
La hase pleine qui conçoit.
(編者注/堀口大學氏訳。新潮文庫版。
野兎
君は野兎の牡のように 恋する男のように
好色であったり 臆病であったりしては駄目だ
だが君の脳味噌は
胎んでいてもまた胎む
野兎の牝であれ)。
(編者注/拙訳。
野ウサギ
好きものなのに手が出せないなんて駄目だよ
オスの野ウサギみたいに、恋する男みたいにさ
でも、きみの頭のなかは
仔をはらんでおなかいっぱいの メスの野ウサギのようであれ)。
それではまた、次回更新時に。
それではまた、次回更新時に。
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