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2014年11月

2014年11月24日 (月)

≪声の幽韻≫松平頼則から奈良ゆみへの書簡 65

松平頼則氏に関しての奈良ゆみさんの所蔵する手稿など 47
(「松平頼則氏から奈良ゆみさんへ送られた手紙Fax」  第46回


(編者注/ひどい暑さのせいで、8月はようやく20日に「ずい分長い間Faxを書かなかった
気がします」で始まる1通がしたためられて、その次になるのが9月6日付になる。
9月6日付書簡を今回は再掲載させていただく)


<2001年9月6日>

Chère Yumi !
長いFAX うれしく読みました。
100人一首はYumiに対する愛情とは別に
職人的な動機で書いたので、ついdédicationをおとしてしまったのです。
御めんなさい! それから現在は上野学園とは関係がないので直筆のスコアはそのままお持ちください。

(編者注/Chère Yumiは、かわいいゆみ。100人一首は、百人一首。藤原定家が京都・小倉山の山荘で選んだとされる小倉百人一首。Vocalises en forme de tanka (2001)-Hyakuninn ittshuとして作品目録に記載されている。『短歌の形式によるヴォカリーズ―百人一首』(2001)。dédicationは、献呈。御めんなさいは、ごめんなさい。原文のまま。上野学園は、以前教授として奉職されていた上野学園大学)。


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古沢さんのMr.は、美男子でした。彼女の結婚の動機もそこにありました。
私のまだ無名の頃、彼女には随分世話になりました。古今集の初稿の演奏やら、
Parisに私が最初に行った時、色々な作曲家に紹介状を書いてくれたり。
BoulezがFigures Sonoresを初演してくれた時、原地からのレポートを書いてくれたり―(これは何處かへ失くしてしまい残念です)

(編者注/古沢さんは、ソプラノ歌手の古沢淑子(1916-2001氏。1937年から第二次大戦を挟んで15年間、1952年までパリに留学、クロワザに師事。帰国後、ドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」の日本初演(1958年11月28日)ではメリザンド役をつとめた。その時の指揮者はジャン・フルネ(Jean Fournet, 1913 – 2008)。その後40年を経て、1998年12月16日フルネが同曲を再演するときに選んだメリザンド役が奈良ゆみ氏だった。パリで公演されたモーリス・オハナの一人オペラ「三つのオハナの物語」を客席で聴いていたフルネの指名だった。

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古今集は『声とピアノのための「古今集」(1939-1945)』。
Parisは、パリ。Bourezは作曲家/指揮者のピエール・ブーレーズ(1925-)。
Figures Sonoresは、『フィギュール・ソノール(1956年)』。『MUSIC SINCE 1900』(Nicolas Slonimsky , SchirmerBooks) に1957年6月1日、チューリヒで「国際現代音楽協会祭」で世界初演された記録があった。発表時から欧州の音楽家に受け入れられた作品のひとつ)。

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(Music since 1900 ,   Nicolas Slonimskyより)

ひどい暑さだった夏も過ぎようとしていますが、この頃は夜のtoiletが様相が変り、ノドのかわきがひどく一晩のなかにコップ一杯の水をのみ乍ら過します。
何のことかわからない夢をみます。
直ることのない、でも終りを予言することの出来ないma vieです。
希望というものは殆どありません。
運のまにまに……

(編者注/toiletは、トイレット。のみ乍らは、飲みながら。ma vieは、私の人生)。
La grâceは私の好きな作品です。
そこにはYumiに対する初々しい愛情がこめられていますから、Pianoパートはそんな配影も持っていますから省略は出来ません。
来年のsolo voiceのprojetをたのしみにしましょう!

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(編者注/La Grâce 1991、と仏語の作品目録にある。『ラ・グラース』の日本語の題名は『七月の詩 La Grâce (1991年7月』。詩は松平頼則氏。《池 冷しくしては 月 ゆらめきて 優雅なり/松 青うしては 風そよぎて 優美なり》。CD『松平頼則作品集Ⅱ/奈良ゆみ』に収められた解説に「La Grâce(優美)献呈のための讃辞である」と記されている)。
solo voice は、ソロ・ヴォイス。Projetは、プロジェクト)。

今秋、日本に来られたら会いたい。
災難の報、後から知っても慄然とします。
日本も同様な被害がニュースで度々知らされます。
何もこんなことが世界共通にならないでもいいのに。
では又 Je t’aime ardemment
Ton Yoritsuné!
 
(編者注/Je t’aime ardemmentは、熱烈に愛して。Ton Yoritsunéは、あなたの頼則)。

2014年11月17日 (月)

≪声の幽韻≫松平頼則から奈良ゆみへの書簡 64

松平頼則氏に関しての奈良ゆみさんの所蔵する手稿など 48
(「松平頼則氏から奈良ゆみさんへ送られた手紙Fax」  第47回


20014337

(竹島善一氏撮影)


(編者注/このほど奈良ゆみ氏から送って頂いた資料に、2001年4月に撮影された松平頼則氏の画像があった。竹島善一氏撮影によるもので、『101年目からの松平頼則Ⅱ』というコンサートのちらしの画像になった。松平頼則氏の書簡<2001年4月1日>付に撮影についての言及がある。

20090713073723

(編者注/奈良ゆみ氏からの資料に<7月23日>付の書簡もあった。6月はなく、7月のも前に掲載した<7月3日>付があるばかりだった。<8月20日>付には「ずい分長い間Faxを書かなかった気がします」とあるので、これが7月付の最後かもしれない)。
<2001年7月23日>

Très chère Yumi !
 今日(le 23)芦屋のレストランのPotages
や ParisのGâteaux 受け取りました。
 Mille‐mercis !です。
(編者注/Très chère Yumiは、とてもかわいいゆみ。le 23は、23日。Potagesは、ポタージュ。スープ。ParisのGâteauxは、パリのお菓子。ケーキ。Mille‐mercis ! は、千の感謝。多謝)。

 百人一首の歌曲 ほんのplaisanterのつもり
で始めたら意外にやっ介で 少しばかり
手こずりました….
(編者注/plaisanterは、冗談。おふざけ。やっ介は、厄介、やっかい)。
 Tokyoの暑さときたら今年は例外的
なひどさです。
 部屋のクーラーが具合悪く新品を求めて
いますが仲々持って来てくれません。
 日中はYukiもクーラーのある私の部屋に
避難しています。

(編者注/Tokyoの暑さ(東京の暑さ)に関しては、熱帯夜<日最低気温が25℃より下がらない日>の日数は、1970年代から増加していて、近年のデータを単年でみると、1999年の46日をピークに、2000年に41日/年を記録したあと、ふたたび2001年に41日/年、その後、2006年と2009年に20日と低下したものの、近年は過去最高のレベルとなっている。
仲々は、なかなか。Yukiは、松平雪夫人)。


20014341

(竹島善一氏撮影。松平頼則氏宅の庭には藤棚があった)

 私の微熱36.9 → 37は仲々下がらず
病院のDrも 前から見てもらっているDrも
心配はないとのことです。
 それより辛いのは排尿の通路が変のようで
毎晩 以前とは違う痛みで….
 昼は痛みませんが 人間の体は昼間は
尿を作らないのだそうです。
(編者注/Drはドクター。医者。尿管結石は、たしかに夜につくられるというのが定説らしい)。

 舌の具合もよくなく食べたいものも余りありません。
でもスープは受け付けますから ほんとうに
ありがとう! たすかります。では又
28日のbeau succèsを祈りながら
Je t’aime infiniment !
Yoritsuné

(編者注/beau succèsは、大成功。2001年7月28日、奈良ゆみ氏はフランスのグラーヴで、リサイタルを開いた。「フェスティヴァル・オリヴィエ・メシアン」でドビュッシー、松平頼則、メシアンの歌曲。ピアノ:イリナ・カタエヴァ。
Je t’aime infiniment !Yoritsuné は、かぎりなく愛しています!頼則)。


(それではまた、次回更新時に)。

2014年11月11日 (火)

≪声の幽韻≫松平頼則から奈良ゆみへの書簡 63

松平頼則氏に関しての奈良ゆみさんの所蔵する手稿など 47
(「松平頼則氏から奈良ゆみさんへ送られた手紙Fax」  第46回


(編者注/今回は松平頼則氏から奈良ゆみ氏に送られた『Jeu de Carte』の解説で、日付は入っていない。2001年の夏前後に書かれたには違いないので、ここに挟み込む)。

Photo_2

à Yumi
Jeu au Carte について
il est nécessaire d'expliquer cette title
“Carte”…16e siècleにポルトガル人が日本に伝えた
Carteに由来します。それ以来日本語で
カルタと呼ぶようになったので本来の日本語では
ありません。
(編者注/à Yumiは、ゆみに。Jeu au Carteは、かるた遊び。
il est nécessaire d'expliquer cette titleは、それはこのタイトルを説明するために必要である。16e siècleは、16世紀)。
Photo_4

百人一首をゲームにしたのは江戸時代からだと
言われています。
一人の読み手があって 一人から幾人もの取り手
があって
 読み手は上ノ句を読むと 取り手が下ノ句の札
を取る。数多く札を取ったものが勝というキマリです。
“短歌”がそのゲームの素材です。(百人一首)

短歌は上ノ句=5+7+5=17字
   下ノ句=7+7   =14字
   合計――――――=31字
上ノ句は 情景の設定    
下ノ句は そのconclusion  }という性格があります。
(編者注/conclusionは、結論。結び)。

上述したようにゲームとして勝つためには
上ノ句を聞いただけで如何に相手より早く札を取るかが
要求されるわけです。
百人一首の中には上ノ句が仝じ字ではじまるものが
沢山あります。
その中で一枚札というものが七枚あります。
これは仝じ字ではじまるものがほかにないので
読み手が最初の一字を読んだだけで下の句を
取ることが出来るものです。
(編者注/仝じは、同じ。松平頼則氏はこの字を使った)。

Photo_5

読み札         取り札
むらさめの………………きりたちのぼる
すみのえの………………ゆめのかよいぢ
めぐりあひて……………くもかくれにし
ふくからに………………むべやまかぜを
さびしさに………………いづくもおなじ
ほととぎす………………ただありあけの
せをはやみ………………われてもすゑに

(編者注/
村雨の露もまだひぬ槇の葉に 霧立ちのぼる秋の夕暮れ (寂蓮法師)
住の江の岸による波よるさへや 夢の通ひ路 人目よくらむ (藤原敏行朝臣) 
めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に 雲がくれにし夜半の月かな(紫式部)
吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風を嵐といふらむ (文屋康秀)  
寂しさに宿を立ち出でて眺むれば いづこも同じ秋の夕暮れ (良暹法師)
ほととぎす鳴きつる方を眺むれば ただ有明の月ぞ残れる (後徳大寺左大臣)
せをはやみ 岩にせかるる 滝川の 割れても末に あはむとぞ思ふ (崇徳院)
 以上が引用された「百人一首」のなかの短歌である)。

Photo_6


“むすめふさほせ”などといわれています。
「百人一首」の歌では
「あ」で始まる歌は16枚もあり 「あ」と呼んだだけでは
どの歌か判断できません。
たとえば「あきかぜに」と「あきのたの」の場合
最初の2文字までは仝じですが 3番目の文字で
「か」と「の」に分れます。このようにその字から句が
変ってくる字を「決まり字」(NOTE FIXE)といいます。
Jeu de Carteの譜面には決まり字(NOTE FIXE)6ヶまでを
1例づつ書いてあります。
上の段が読み手 liseur
下の段が取り手joueur  }が歌うように設定してあります。
だからこの譜面では2人の演奏者を要求してあります。
(Soloでの譜面ではありません。読み手のパートの
「(   )」は勿論無音です。
演奏の順序は読み手が自由に選択します。
ご不審の点があったらきいて下さい。
Yoritsuné


(それではまた、次回更新時に)

2014年11月 5日 (水)

≪声の幽韻≫松平頼則から奈良ゆみへの書簡 62

松平頼則氏に関しての奈良ゆみさんの所蔵する手稿など 46
(「松平頼則氏から奈良ゆみさんへ送られた手紙Fax」  第45回


(編者注/昨日<2014年11月3日>、奈良ゆみ氏からたくさんの貴重な資料が送られてきた。このところは2001年の書簡を日付順に掲載してきたのだが、6月と7月のものが極めて少ないので、問い合わせをしているところだった。
そしてお送り頂いた資料は、もっと過去のものを含めて本ブログに掲載しておかなければ忘れられたままになってしまう惧れがあるものばかりであり、書簡解読には少し時間を頂くことにして、今回は資料掲載のみにとどめたい)。


1996313_2
(ザルツブルク 1996)


19957312
(「文藝春秋」誌 1995年7月号)


(編者注/「文藝春秋」誌の記事も写真も橋口譲二氏によるものだ。
以下は、2001年の作品『百人一首』と『Jeu de cartes』の肉筆稿。前回の稿にも触れられている。
http://masa-yamr.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/61-2057.html



350page001


350page002_2


352page001


(以上3枚は『百人一首』2001)


Jeu_de_carte_pour_2voixpage001


Jeu_de_carte_pour_2voixpage002

(以上2枚は『Jeu de cartes 』2001)


(編者注/次回は『Jeu de cartes 』についての松平頼則氏による覚書を掲載する予定。
それではまた、次回更新時に)。



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