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2014年1月

2014年1月27日 (月)

≪声の幽韻≫28

松平頼則氏に関しての奈良ゆみさんの所蔵する手稿など 12


(「松平頼則氏から奈良ゆみさんへ送られた手紙Fax」  第11回)。


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(編者注/松平頼則氏から奈良ゆみ氏への書簡(最初は郵便、のちにFax)は膨大な量に上るため、奈良ゆみ氏は大切に思われる個所を手書きでノートに写された。

その量もまた膨大なもので、本ブログの底本になっている。この日付<1996年11月23日>のFaxも「奈良ゆみノート」には抜粋して記されてあった。しかしながら内容を確かめていくうちに、質問と回答が繰り返され、「松平頼則書簡」の原本コピーをお預かりすることになった。
感熱紙の経年劣化ですっかり薄くなっているし、その筆跡は、お書きになっているように「腕に力が入らない」状態のものだ。解読には数日かかった。やはりこれは重要な書簡だった。


まず第一に松平頼則氏の作曲家としての音楽の出自が述べられていて、ソナチネのエピソードも明かされている。そして作曲家からみた声楽家・奈良ゆみ氏との音楽性の共通性が述べられている。この2点において将来の研究者にとっても最も興味深い書簡のひとつになるだろう。全文掲載させていただくことになった)。


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(「ピアノのためのソナチネ」第2楽章冒頭部分)



<1996年11月23日>  その1

Chère Yumi

  今朝は調子がわるかったので、Messian Requiemの件、切抜いて送って失礼
しました。
  Contratは2つとも来ているのと、私のPenがうすくて読みにくかったのでしょう。今も腕に力が入らない。(注1)

  Yumiの昨日のFax、興味があり、私の側からも〈雅楽〉について知ってもらい度いことがあるので書きます。
 Yumiの此度のProgrammeの中で、Fallaのpièceがあります。Chansonの起源のひとつに民謡があることを思い出しました。雅楽は現在宮中に入り、高度に洗練。悪い意味でCadavre化しています。(注2)


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(マヌエル・デ・ファリャ)

 私の雅楽研究は、もっと時代を遡り、その起原をたづねると、西域地方の起原の曲がかなり出てきます。Ravelが好んだ中央Arabe地方です。今でもブロンドの住民がいて、歌舞音曲を職業としているそうです。
 昔の蕩児の遊び場だったそうです。

 私は試みに輪鼓褌脱のメロディそのままを使ってPiano SonatineのMenuetに当る2楽章を書きました(リズムは[2+3])。或る作曲家兼業の批評家がラベルのTombeau de Couperinの模倣であると書きました。私は計畫が的中して大笑いしました。このメロディは西域地方の民族です。それから雅楽曲のいくつかは曲芸のメロディが使われているそうです。(注3)


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(モーリス・ラヴェル)

注1)
Chère Yumiは、かわいいゆみ。Messian Requiemは『ソプラノとオーケストラのための「レクイエム(オリヴィエ・メシアンの思い出に)』。Contratは契約書。翌1997年のリヨンとパリでの松平作品上演のためのものだろう。Penはペン」。

注2)
もらい度いは「もらいたい」。Programme はプログラム。Falla(スペインの作曲家マヌエル・デ・ファリャ1876-1946)のpièceはファリャの曲。奈良ゆみ氏は『七つのスペイン民謡』(Siete Canciones Populares Espanolas)と記憶される。Chansonはシャンソン、歌。Cadavreは死体)。

注3)
Ravelはフランスの作曲家モーリス・ラヴェル(1875-1937)。Arabeはアラブ。
輪鼓褌脱は「りんここだつ」。雅楽のひとつ。唐楽、太食調、小曲、早只四拍子、
拍子二十三、新楽。舞なし。Piano Sonatineはピアノのための「ソナチネ」(1948年)。『松平頼則ピアノ作品集』(全音楽譜出版社)所収。Tombeau de Couperinは『クープランの墓』。計畫は「計画」)。


後半は次回更新時に。

2014年1月20日 (月)

≪声の幽韻≫27

松平頼則氏に関しての奈良ゆみさんの所蔵する手稿など 11

(「松平頼則氏から奈良ゆみさんへ送られた手紙Fax」  第10回。今回の上の2枚の画像は1997年12月9日、11日、12日にパリの日本文化会館で行われた『源氏物語』公演の案内ちらし)。


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<1995年10月25日>

Melos Art   Mass for Peace
―Penderecki
―Menotti
―Matsudaïira Kyrie
―Schnittke
―Nordheim
―Rendine


(編者注/1995年12月11日、ノルウェイのオスロでノーベル平和賞演奏会〈Nobel Peace Prize Concert〉で『平和のためのミサ』が演奏された。


ペンデレツキ(ポーランド 1933-)、メノッティ〈アメリカ 1911-2007〉、松平頼則〈日本 1907-2001〉キリエを担当、シュニトケ〈ロシア 1934-1998〉、ノルトハイム〈ノルウェイ 1931-2010〉、レンディーネ〈イタリア 1954-〉による合作である。


参考までに同年の受賞者は「ジョセフ・ロートブラットとパグウォッシュ会議」。ノーベル賞の文学賞と平和賞は、ときに訳が分からない人物、機関が受賞することがある。が、ともあれ作曲家たちは平和への祈りをこめて曲を持ち寄ったことだろう)。

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<1996年11月7日>

 宮内庁  天皇から、私の雅楽とピアノの曲をきき、何という題だったかたづねるとのこと
(編者注/松平頼則は1996年、文化功労者に選ばれている)。

<1996年11月6日>

 2000 an の為の créationを書きあげたこと
(編者注/2000anは、2000年。créationは、創造。作品。どの曲を指していたかは不明)。



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(エリック・サティ)

<1996年11月25日>

始めてYumiを聴いたのは、大森の小さなホールだった。Satieを聴いて、実はひどいショックを受けた。
私の記憶の標本箱の中の展翅されたSatieとは、あまりに違っていた。
脂切って、力強く、一言一言のFrance語がアクセントを持ち、時に微細なpauseを持ち......生きていた!飛んでいた!
私は始めYumiのParis滞在の時間による……
その後、幾多のSatieのChansonや、Poulancの軽い明るい悲しみをきくにつれ、Yumiのこうした歌に対する表現というものは、人生の機微や人生の哀楽に裏づけられていることを感じた。

(編者注/松平頼則は1988年に初めて奈良ゆみの歌声を聴いた。大森山王オーディトリウム。Satieはフランスの作曲家エリック・サティ(1866-1925)。Franceはフランス。pauseは休止。Parisはパリ。Chansonはシャンソン、歌。Poulancはフランスの作曲家フランシス・プーランク(1899-1963)でフランス6人組のひとり)。

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(プーランク 青年時代)


それではまた、次回に。

2014年1月13日 (月)

≪声の幽韻≫26

松平頼則氏に関しての奈良ゆみさんの所蔵する手稿など 10

(「松平頼則氏から奈良ゆみさんへ送られた手紙Fax」  第9回。今回の上の2枚の画像は1999年5月6日、7日、8日にベルリンのヘッベル劇場で行われた『源氏物語』公演の案内冊子から)。


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<1996年3月25日>

 近代的和声法。ピエロ。
(編者注/ピエロは、シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」(1912年))。

<1998年3月27日>

 私のFigures Sonores のConstructionのカンクリザシヨンは、シェーンベルクの月光のピエロのNo.18 月のしみ に由来していることがわかったし、あの曲について長い評論を書いてくれたダルムシュタットのWolfgang Steineckeが、セリー技法はシェーンベルクの発見が単なる技法だけでなく、民族的色彩で個性的なnuanceがとられ得るものであることを、Figures Sonoresは證明している、と書いている。

(編者注/Figures Sonoresは『フィギュール・ソノール』(1956年)。Constructionは構築。「月光のピエロ」は、「月に憑かれたピエロ」。Nuanceはニュアンス。

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(シェーンベルク 『自画像』 1910)


『フィギュール・ソノール』は1957年6月1日、スイスのチューリヒで「第31回国際現代音楽協会祭」で演奏された。(『Music since 1900』 Nicolas Slonimsky著 Schirmer Books刊)

Wolfgang Steinecke ヴォルフガンク・シュタイネッケ(1910-1961)は音楽学者で批評家。またダルムシュタット夏季現代音楽講習会の創設者のひとりとして著名。

同講習会は第二次世界大戦から間もない1946年に開かれ、ナチ政権下では頽廃音楽として封じられていたシェーンベルクらの12音音楽が解禁され、一挙に戦後の現代音楽がここを中心にして生み出されることになった。当時ダルムシュタットはアメリカ軍の占領下にあり、資金的にもヘッセン州、ダルムシュタット市のみならずアメリカからの援助もあった。

最初の2年間はヒンデミット、ストラヴィンスキー、フランスの6人組など第1次大戦から第2次大戦までの音楽を復習。1948年、シェーンベルクの「ピアノ協奏曲」が演奏され、新ヴィーン楽派の12音技法が参加者の注目を集め、翌1949年、オリヴィエ・メシアンが『音価と強度のモード』を発表。

この楽曲は、音を4つのパラメーター、すなわち「音高」「音価」「強度」「音色」に分けて捉え、個々のパラメーターで用いる要素を限定し、基礎となる「列」 = 「セリー」series をあらかじめ作った上で、合理的に組み立てていく、という方法で作曲されました。メシアンは、基礎となるセリーをモード = mode(旋法)として扱った。
 
 若い作曲家たちの関心はシェーンベルクから彼の弟子のヴェーベルンに移り、「協奏曲」の分析を経て議論が盛り上がり、より新しい音楽技法「トータル・セリー」の作品が生まれました。1952年、シュトックハウゼンの『クロイツシュピール』、ブーレーズの『ストリュクチュールⅠ』など。とくに同年のレクチャー「シェーンベルクは死んだ」によってP・ブーレーズは時代の寵児となった。


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(ブーレーズ〈左〉とシュタイネッケ〈右〉)
そして1958年、アメリカから「偶然性の音楽」のジョン・ケージが招かれ、音楽家たちは衝撃を受けた。

すでに1949年4月、パリに来ていた36歳のケージは、24歳のブーレーズの『ピアノ・ソナタ第2番』(1948)を通じてただちに彼に興味を抱き交流を始め、熱い対話が開始された。しかしブーレーズは、やがてケージの不確定性に対して「管理された偶然性」を提唱した。


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(ジョン・ケージ〈右〉と鈴木大拙〈左〉 1962)

かくのごとく現代に至るまで、才能ある音楽家たちの熱い交流の場でもあったダルムシュタットに招かれた日本人の作曲家には、福島和夫氏、篠原真氏らをはじめとして、あまたいる。


参考までに≪声の幽韻 20≫に掲載済の項目を掲げておく。松平頼則はメシアンのために『レクイエム』を捧げている。

<1990年8月4日>

私の作曲技法の一部。
大別して①音域のdisposition (これは13種あります)
    ②音列技法(240sériesによる)
で成り立っています。)。


それではまた、次回更新時に。

2014年1月 6日 (月)

≪声の幽韻≫25

松平頼則氏に関しての奈良ゆみさんの所蔵する手稿など 9

(「松平頼則氏から奈良ゆみさんへ送られた手紙Fax」  第8回。今回の上の2枚の画像は1999年5月6日、7日、8日にベルリンのヘッベル劇場で行われた『源氏物語』公演の案内です)。

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1990年9月19日

 「二星」「早春」の楽譜を送ります。
(編者注/『ソプラノとピアノのための「朗詠・二星」』(1989年)と『ソプラノとピアノのための「朗詠・早春」』(1990年)の楽譜)。

1995年10月19日
 Consolation  Au paradis できました。
 Karyobinもプリントできてきました。
 何かYumiのすることはスケールが大きい……
 Yumiはあらゆる点で助けてくれる。
 しかも運命がYumiを愛するように 絶対に結合する
 のがれられないバラ色の鎖。

(編者注/Au paradiceは「楽園にて」。Consolationは「慰め」。奈良ゆみ氏の母上が亡くなったときに書かれた『ソプラノとオーケストラのための「時の流れのなかの2つの挿話」』。Karyobinは『ソプラノとオーケストラのための「迦陵頻」(1996年)』)。




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1997年4月2日

 木枯らしの  心から  の説明
 ☆催馬楽は始め巷間で歌われていた。今でいえば流行歌が雅楽他によるもので、その旋律は、雅楽に対し、はるかに複雑です。
(編者注/『ソプラノとアルトフルートのための「木枯しの」』『ソプラノとクラリネットのための「心から」』(1992年-1993年)の説明)。


1997年3月4日

 René Sieffert “Le Dit du Genji”
    Collection UNESCO

(編者注/ルネ・シフェール(1923-2004)はフランスにおける「源氏物語研究」の第一人者。主著『源氏物語』の他に、平家物語や谷崎潤一郎、上田秋成らについての本も出している日本古典文学研究家)。


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(ルネ・シフェール著『源氏物語』。いろいろな表紙で出されている。下図も)。


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1997年5月22日

 源氏オペラの演奏順序

1997年5月22日

 「心から」……朧月夜の可憐な心の歌です。
 L’amourは不安であるという気持
 いづれもYumiと自分との絶えざる微風の
 inquietsが、私の作曲をする動機かもしれませんネ!

(編者注/「心から」は『ソプラノとクラリネットのための「心から」』(1992年-1993年)。L’amourは愛。Inquietsは心配)。



(ではまた、次回更新まで。まだまだ続きます)。

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