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2013年10月15日 (火)

≪声の幽韻≫14

『日本の作曲家』 富樫康 音楽之友社刊(1956)による松平頼則 7

(前項からの続きです。)

前回に紹介した『洋楽』という本――『YOGAKU  Japanese Music in the Twentieth Century』は、英国ロンドンのScarecrow Pressから2002年に出版されたもので、著者はルチアーナ・ガリアーノ(Luciana Galliano)氏)。


チェレプニンやタンスマンとの出会いは、富樫康氏の本にも書かれていましたが、戦前の松平頼則について、やはり西洋の音楽史家は西洋側のチェレプニンから語り始めたわけです。西洋音楽のどの文脈の人物であるか、がガリアーノ女史の眼の付ける所。ドイツに学んだ山田耕筰、諸井三郎。フランスに学んだ池内友次郎。というふうに。

とはいえ、日本の作曲家も、ただ西洋音楽の真似をするばかりではありませんでした。ガリアーノ女史の記述は戦後に進みます。戦争を経て、西洋各国の「現代音楽」も百花繚乱の様相を呈するとき、ガリアーノ女史の眼には「新作曲家協会」と「日本現代音楽協会」の二つに所属した早坂文雄と松平頼則に焦点が当てられます。


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まず早逝した早坂文雄について「汎アジア」スタイルの音楽を述べたあと、松平頼則については長大な文章が捧げられています。豊富な譜例が挙げられているのは嬉しいことで、西洋の人たちには頭の中で、あるいはピアノで鳴らしてみれば、その独特な響きがわかるからです。


「松平頼則の最もオリジナルでクリエイティヴな創作は、戦後の時代に来た」。戦前に彼は雅楽を用いたが12音技法も使うようになり、トータル・セリアリズムも取り入れる。その時期の作品『ピアノと管弦楽の為の主題と変奏』がカラヤンとウィーン・フィルによりザルツブルクで演奏され、カール・ヴェルナーが絶賛したことにも触れられています。


そして彼女の楽曲紹介は、譜例を用いてわかりやすいものになっています。上図は1954年にハイファで開かれたISCMフェスティバルでツェルボーニ賞を受けた『催馬楽によるメタモルフォーズ』(1954)からの引用です。次も同じく。その下は『循環する楽章』に使われた和音です。


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そして次も『循環する楽章』から。技法の変遷が順次述べられて、西洋のアヴァンギャルドな技法さえ取り入れて、活発な創作の時代は過ぎていきます。中にシュトックハウゼンの名が出てきますが『ポルトレ』(1967‐68)には「シュトックハウゼンの<グループ・コンポジション>の技法が使われている、ということでした。他にブーレーズ、メシアンらの名前も出てきて、いかにも松平頼則が日本だけでなく世界の水準で作曲を進めていたことがわかります。

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では次回更新時に。

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