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2013年10月 8日 (火)

≪声の幽韻≫13

『日本の作曲家』 富樫康 音楽之友社刊(1956)による松平頼則 6

(前項からの続きです)


ここからは海外文献による松平頼則の紹介を。ただし詳しく一言一句訳して行けば、それだけで回数が重なってしまうので、ざっとした大意のみを記していきます。


前回に挙げた『洋楽』という本。『YOGAKU  Japanese Music in the Twentieth Century』。英国ロンドンのScarecrow Pressから2002年に出版されたもので、著者はルチアーナ・ガリアーノ(Luciana Galliano)氏)。

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(書中の松平頼則の肖像)


ガリアーノ女史は1953年生まれ。現代音楽、それもアジアの音楽に興味を持つ才媛で、東京芸大にも留学し音楽学のM.A.を取得しています。この本1冊を書くために読まれた本は(日本語のみならず各国語に及びます)膨大な量に及び、また実際に聴いたり楽譜を手にしたりした作品の数も同じです。


日本人が日本人の作曲家列伝を書いたり、明治以来の日本での西洋音楽の流れを書いたりする本は、もちろんこれまでにもありました。しかし西洋の音楽学者による日本の「洋楽」の歴史が詳述された本として、これは徹底された調査と細密な愛に裏打ちされた良書と評価せざるを得ないのです。


明治以来、洋楽を導入した日本は、まず唱歌から一歩を踏み出しました。そこから100年ばかりの道のりのなかに、何人もの作曲家の苦闘の歴史がありました。日本にあった響きと西洋の響きの違いの確認。相克。葛藤。衝突。融合。止揚。揚棄。さまざまな技法を採りいれつつ、現代の日本の洋楽は先人たちの努力を超えて、なお産みだされ続けます。


『洋楽』の前書きにガリアーノ女史が表明した松平頼則への「謝意」は、彼が著者からのこまごまとした質問にも「コンスタントに」お答えくださった、ということに対してのもの。1998年が初版ということになっていますから、その前のある時期には作曲家は異国の音楽学者のために、親切を極めた回答を行っていたことが判ります。

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前書きの次に松平頼則の名が出てくるのは、早や19頁です。冒頭のIntroductionの部分で、1920年代半ばの日本の状況について「彼ら音楽家、音楽教師、ジャーナリストも批評家も時代に遅れていて、新しい音楽は二番目に重要なこととしてみなされていた」という言葉が掲載されています。これは、あるいはファックスによるやりとりの言葉でしょうか。



そして82頁から。第2章 西洋の音楽言語の進化。松平頼則を書きはじめる前に、ガリアーノ女史は彼を「発見した」チェレプニンのことから始めます。


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チェレプニンという人がどんな音楽家だったかも描きこまれています。タンスマンのことが続いて、一行空けて、松平頼則の初期の活動が述べられています。

(以下、次回に続きます)


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