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2013年8月

2013年8月25日 (日)

≪声の幽韻≫7

《声の幽韻》松平頼則作品集Ⅲ 奈良ゆみ(ソプラノ)ALM Records ALCD-94について その6


『想い出が翼を拡げるとき』6

(前回からの続きです。奈良ゆみさんの文章です)。



 昨年の12月に毎年コンサートを催して下さいます、飯田精三さんにこのお話をすると「このことは、企業などが援助するのではなくて、我々一人一人が志を持って力を合わせ支えて行く日本の文化なのだ」と早速コンサートの折りにお客様にお話してくださって、私はそのお言葉をとてもうれしく思いました。


Yuminara



  そして、飯田さんのお勧めも受けて正式に、みなさんにお願いをいたしますと、こんなにも熱くご支援を戴いて深く感激いたしております。また、同志社女子大学からも後援してくださることになり、いよいよCD出版が現実になりました。



   
実際の制作に当たっては、始めはこの制作を躊躇しながら受けて下さったALMのスタッフの方達も、全員が、もう数字などすっかり頭の上遥か遠くに飛んで行ってしまったように、最良の作品に仕上げる為に力を惜しまず励んでくださいました。 


 表紙のデザインだけでも、どれだけの案が届いたことでしょう。どれもこれも素晴らしく選びがたいものでした。私自身も、こんなに制作に関わったのは初めてのことで、ブックレットの校正などが、遅れに遅れ、でも何とか2月半ばに工場に見送るまでそれは大変な思いをしましたが、みなさんのお心に感動しながらのことでしたので、幸せでした。


 松平先生に聴いていただけないことは淋しいですが、でも先生の魂が復活すると思えばうれしいことです。


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 この1月に石岡にある照光寺にお墓参りをしました。
 録音風景をすべて映像に収められた,映画作家の宮岡秀行さんがレンタカーで連れて行ってくださいました。


 亡くなられてから初めてです。お寺の住職さんも雅楽を演奏され、松平先生のご生前にはよくお話をされたと語って下さいました。

 本堂に案内されると、そこには松平家代々の位牌がまつられ、先生と雪様のご位牌が一番新しく金色に輝いていました。


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 本堂は薄暗く、大きな阿弥陀如来が座していて天上からは極楽浄土の金色の飾りが下がっていました。松平先生の魂が天上に、極楽に、光に誘われて昇っていくように思われました。まさしく、この闇に浮かぶ極楽浄土こそが、松平頼則の世界だと思いました。


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 そのあと、日暮れ頃、東中野にあるあの先生のお家をお訪ねしました。11年過ぎてまだ残っているものかもう既に壊されて跡形もなく別な建物が建っていたらと、とても恐かったのですが、そのまま遺されていました。


 小さな庭は枯れ草に覆われていましたが、藤棚は春を待つ固い芽をつけていたし、みかんの木は夜の中に緑の葉が艶やかに光っていました。
 かまぼこ板の表札は上の部分が雨だれで半月形に朽ち落ちていましたが、かけられたままでした。あの扉の左の窓の格子の向こうで先生は仕事をしておられました。あの壊れたピアノも、楽譜が乱雑に重ねられた机は、今はどんな様子なのでしょう?



 松平頼則先生の魂が,今、翼を拡げてこの新しい作品集から飛び立って行くことが出来ますように!新しい生命が育まれるとき、、、。



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(この項はこれで終わります。次回からは松平頼則氏のことを)。

2013年8月18日 (日)

≪声の幽韻≫6

《声の幽韻》松平頼則作品集Ⅲ 奈良ゆみ(ソプラノ)ALM Records ALCD-94について その5

『想い出が翼を拡げるとき』5

(前回からの続きです。奈良ゆみさんの文章です)。


 松平先生は、私の“出現”が創作へのインスピレーショを与えたとおっしゃいます。でも、私にとっては松平先生は、先生の作品を演奏するようになって、声の根源に微睡む可能性に問いかけ、新たな声を開拓することができた稀な作曲家だと云えます。


 書かれている譜面を見ると、まず第一に余りにも細かい音の装飾音、音程の跳躍の激しさにお手上げになってしまう、どうすればこのスコアが歌えるのであろうか?


 途方に暮れて先生に幾度申し上げたことか、、、その度に相談しながら、書き換えてはくださるのですが、依然として難しく、先生は「それは演奏家を信頼して尊敬しているから、あまり簡単だと失礼になると思って」とおっしゃる。


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 後になるにつれて理解出来て来たことですが、演奏家が限界に挑むときに起こるある真実というものを大切にしておられたのか、それを教えて下さったのかと。


 その瞬間に存在するスピリットを。それらの楽譜を歌い上げるためには、決して譜をなぞって演奏するのではなく、譜が生まれる前のエネルギーとその魂を想像して体感すること、それは綿密に瞬時に自分自身を捨てて行くこと。


 その方法を試みているうちに、自然に譜に現れた音楽が、私を通っていとも自然にほとばしり出ることを知りました。
 それはまるで哲学の分野のようで、言葉の生まれる前のその根の営みに身を置くことでなないかと思いました。他にはシェーンベルク、とジャン=クロード・エロワが私にとっては同じ様に声を発掘させてくれた作曲家でした。


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 松平先生は20011025日に旅立たれました。その日、竹島さんがお電話をくださいました。その一時間前に18日に書き終えられた最後の作品『鳥の急(迦陵頻)』を郵便でお受け取りしたばかりでした。


 お亡くなりになられた後には、パリ、東京、大阪、ザルツブルグ、エジンバラで幾度か先生の作品のコンサートを重ねて来ました。でもこの最後の作品を含めた晩年の作品集を何時か録音に残したいとの願いが募ってきました。


 それは松平先生の、亡くなられる直前までその作曲技法の探求を続けられたその歩み、書法の変遷に幽玄に漂うような美しい芸術を世に残したいと思い、残すべきだと思うようになり、この
CD業界の困難な時代に、ましてや決してお商売にはなり得ない現代音楽の作品集など、たとえ松平頼則であろうとも、決して出してはいただけない、それで、助成を受けることを前提として、出して頂ける約束を得て、録音をしてしまいました。


 その助成団体も消えてしまったのですが、しばらくはそのことは、考えずにひたすら、制作を完成させることに没頭していました。前に記しましたように、遺された資料を通して新たに先生の思いに、お考えに触れ、近づくことに精魂をかけていました。


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(続きは次回更新時に)。




2013年8月 6日 (火)

≪声の幽韻≫5

《声の幽韻》松平頼則作品集Ⅲ 奈良ゆみ(ソプラノ)ALM Records ALCD-94について その4


『想い出が翼を拡げるとき』4

(前回からの続きです。奈良ゆみさんの文章です)。



 およそ世の中の物欲と云われるものからはほど遠く、社会での野心も微塵も感じられませんでした。
 美しいことと、愉しいことの舞う世界に心を漂わせ創作することが一番の目的として生きておられるようでした。
 その為には、どんなにご自分の中で揺るぎなく選択し、その輝くものに刃物を持ってひたすら向かう努力をされておられたことでしょう。
 それを誰よりも理解し見守られたのが、雪夫人だといつも感動していました。



 それから、あるとき先生の友人で仏文学者でもある、宇佐見英治さんに昼食に私も一緒に招かれたことがありました。それは大泉学園にあるうなぎ屋さん“ふな与”で、それ以来そのうなぎ屋さんのご主人と意気投合されて、亡くなるときまで、大の親友であり、秘書でもあった、竹島善一さんという、もうこの時代には見られない江戸っ子の粋の極みの風流人に出会われたことで、先生の晩年はとても豊かで愉しい日々になったことと思います。



 竹島さんは「ただ者」ではなく、
40年前から会津の風景を撮り続ける写真家でもあります。ここにまた心の優しい少女のような奥様が竹島さんと一緒に松平先生ご夫妻を見守っておられるご様子に私は遠く離れていても、安心して演奏活動に専心することが出来ました。


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あるとき、 野平一郎さんの為にピアノ・コンチェルトを書かれることを、私が提案したことがあるのですが、1ヶ月ほど経って、竹島さんが、「ところで、あのピアノ・コンチェルトはどうなりましたか?」と尋ねられると、「ん?あれね、もう書いたよ。」とおっしゃり、「え?何処にあるのですか?見せてください。」と竹島さんが返すと、「もう出来てるの、頭の中に。後は五線紙に写すだけ。」とおっしゃったそうです。


 そしてまたあるときには、「ぼくの書いたものなんか、ただの紙切れにしか過ぎない。演奏してもらって初めて作品になるんだよ。」ともおっしゃったそうです。私には、『ラプソディ』という小編成オーケストラの作品のパート譜を、以前カルフォルニアで演奏されたときに作ってあったのをすっかりお忘れになられて、
1996年のザルツブルグでのときに、またもの凄く高いお金を払って作られたことを知り、「まあ、よりつね先生、もったいないことを!」と申し上げると、「いいの。ぼくが忘れて悪いんだもの。」と、次の瞬間にはもう別の話題に移られたことも思い出します。



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 源氏オペラの武生市文化会館での初演のリハーサルの時に、歌っていると薄暗い会場から、繰り返しパン!パン!と木を叩くような音がしていたので、後で先生に「何か雑音が聞こえませんでしたか?」とお尋ねすると、「あれね、演出家がぼくの音楽の邪魔する演出をするもんだから、ぼくも仕返しに舞台の邪魔してやった。椅子をスコアで叩いてたの。」とおっしゃって、何とも云えずおかしく思ったのも思い出します。



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(松平頼則作品集Ⅰ/ 奈良ゆみ ALM RECORDS)

(続きは次回更新時に)。




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