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2013年4月 8日 (月)

わが心の自叙伝―横井和子先生がお書きになったもの 14

わが心の自叙伝 横井和子 第13回


七、生別

Brahms_cello_sonata  

(ヨハネス・ブラームス 1833-1897)



 ブラームスのチェロソナタを一緒に演奏できる日を待ち望んだ私たちの祈りはかなえられず、昭和19年2月24日部隊が全滅し、戦死の公報が大分おくれて届きました。

 主人は軍務に精励して陸軍少尉(後に中尉)になっておりましたから、戦場では最も危険な立場だったと思いますが、赤松家の長男として母をはじめ私達のためにどんなにか心を残して逝ったことと、亡くなった状況を知る由もないままにいまだに胸が痛みます。


 いつもにこにこと、ききわけのよい無心な秋雄と年老いてゆく祖母をかかえて、涙の中に終戦の日を迎えました。


 頼りにする弟は慈恵医科大学卒業の直前に肺結核で付属病院に入院し、病室で試験を受けて卒業はいたしましたものの、インターン生活を病床で送ることになりました。

 満員の夜汽車で何度か見舞いましたが、心優しい弟は自分のことは何一つ訴えることなく、かえって私をいたわってくれて、それがわたしには一層辛くてなりませんでした。



 このような状況を赤松の母は見かねられたのでしょう。

 私に、両親が健在であればこんなむごいことは言わないけれども、子供は赤松家で引き取って育てるから安心して渡すように、横井家に復籍して再婚して幸せになるように、とのお話がございました。

 祖母は和子には過ぎた主人と子供が授かったとよろこんでおりましたが、これ以上苦労をかけられる年齢ではなく、後見人をしておりました叔父も亡くなり、弟と同年の従兄弟(いとこ)もフィリピンで戦死いたしまして、病気の弟の世話など横井家のすべてが私の肩にかかってきておりました。


 母の温かいお申し出と分かりながらも、かわいい盛りの子供と別れて再婚することなど考えられなかった私は、富田砕花先生ご夫妻のお宅に秋雄を背負って伺っては泣かせて頂きました。

 富田先生ご夫妻も母方の伯父たちからも秋雄は赤松家で育つ方が幸せだと思うこと、私は音楽の道で生きて行くようにと励まして頂きました。

 理性でわかっても、なかなか決心がつかず悩みぬきましたが、5歳になると親との別れが心の傷として残るとききましたし、4歳半で秋雄をお渡しいたしました。


Imc3514_2
(ブラームス「チェロ・ソナタ」第2番)


(この項、次回に続きます)





   

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