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2013年3月26日 (火)

わが心の自叙伝―横井和子先生がお書きになったもの 12

わが心の自叙伝 横井和子 第11回

六、結婚

 
 本来ならば、私達のクラスは昭和17年の3月に卒業するはずでしたが、戦局が日増しに緊迫してきたために急に16年の12月に繰り上げられることになりました。
 夏休みが終わって寄宿舎に戻りますと、すぐにその旨学校から言い渡されて、卒業試験の準備と戦争の不安で落ちつかぬ日々が始まりました。

 

 卒業試験の自由曲にリストのメフィストワルツを頂きましたが、シューマンやブラームスが好きな私はあまり熱心に練習しないので、先生が「こんなに良い曲を選んだのに」と嘆かれたのが思い出されます。

Liszt49
(リスト「メフィスト・ワルツ」)


 でもレッスンを何度か受けますうちに、内容に素晴らしいドラマがあり、井口先生がフランス留学中師事されたイブナット先生のデビュー曲であることを知り、心を打ちこんで勉強いたしました。


Nat
(Yves Nat イヴ・ナット 1890-1956)


 男生徒はきびしい教練がありましたようですが、女生徒も体育の時間に薙刀(なぎなた)があり、私は紫矢がすりの着物と、はかまにたすきがけの姿で訓練を受けながら、人間同士の傷つけ合いで人生の一番大切なものを失って行く暗い予感をぬぐうことができませんでした。


 そのようなころに、私は赤松稔と婚約いたしました。関西学院を出て東京音楽学校にチェロ科に入学いたしますまで、しばらく宝塚交響楽団に在籍しておりました彼は3歳年上で、”ピアノの虫” の私とは違ってすべてに余裕があり頼りがいのある人でした。それにもまして私は、デュクソン教授に師事していた彼のチェロの音に魅せられておりました。


 
 赤松の母(たき)は三宅家の出で、その兄弟にあたる三宅驥一(きいち)とその弟は、徳富蘇峰の娘である逸子・直子姉妹とそれぞれ結婚しておりますので、私が伊豆に徳富蘇峰夫妻をお訪ねしましたとき、お話の中で「赤松の稔ちゃん」とおっしゃったことも強く印象に残りました。


Img_319121_2777631_8
(徳富蘇峰 1863-1957)


  昭和16年3月に卒業いたしました彼は、日本交響楽団からの入団のおすすめをご辞退して美学を専攻するため、法政大学に籍をおいておりました。
 私は大東亜戦争・真珠湾攻撃の行われた12月に卒業いたしましたが、学徒動員で出征する彼との離別の日が目前に迫ってまいりました。


 出征前に結婚することが私を不幸にするのではと彼は案じてくれましたが、私は二度と会えない日がくるとすればなおさらのこと、結婚して見送りたいと願っておりました。


(この項、次回に続きます)




   


  

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