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2013年2月24日 (日)

わが心の自叙伝―横井和子先生がお書きになったもの 10

わが心の自叙伝  横井和子  第9回

五、青春

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(東京芸術大学 奏楽堂)

 奏楽堂での学友会演奏会には多くのなつかしい思い出がありますが、私の初舞台は予科の時で、井口基成先生の指揮によるヘンデルのコンチェルト・グロッソの中の二台のピアノを、二年上級の松岡貞子様(当時佐伯貞子様)と弾かせて頂きました。初めてのアンサンブルでもあり、無我夢中で弾き終わり、さぞおしかりを受けることと思い、おわびいたしましたところ、「僕はすっかり上がってしまって、ピアノの音なんか聞こえなかったよ」というお返事でした。
 このように井口先生は、レッスンのきびしさの反面に飾り気のない愛すべき一面をお持ちでいらっしゃいました。

 本科一年の時には井口先生の第二ピアノでグリークの協奏曲でしたが、ピアノ科の上級生が試験前で出演者がないため急にきまり、練習期間が十分なくて不安だったことを覚えております。


 後に結婚することになるとは想像もしておりませんでした一年上級の赤松稔(チェロ科)が校内演奏会の係をしておりまして「レッスンでしかられるのは見込みがあるからだよ」と励ましてくれたことが、つい昨日のことのように思い浮かんでまいります。


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(2011年5月6日付「神戸新聞」)


 昭和15年2月10日のその演奏会には、赤松稔も高田信一様の伴奏でラローのチェロ協奏曲を弾いておりますし、同級の原口歌様のリストのタランテラの独奏、安西愛子様の独唱などのほか、伴奏者に木下保先生、金子昇様、中山悌一様のお名前もあり、紙の色も変わってしまったプログラムですが大切にしております。


 本科二年の時は、シューマンのダビッド同盟舞曲集作品6を演奏いたしましたが、プログラムの最後にあの長い地味な曲を弾き終わりステージを降りますと、彼が袖のところで聴いていて褒めてくれたことも、私の青春の忘れられない思い出になりました。


 今の若い方には想像もつかないことでしょうが、当時は、男生徒と女生徒が廊下で立ち話していても教務に呼び出されると言われていたほどで、演奏旅行のときなど教務の先生は、男女別々の車両に納めるのに走り回っておられたものでした。


 でも、各クラスから選出された理事は理事室で一緒に仕事をすることもあり、あこがれの的であった名バリトンの中山悌一様などとお話ができましたし、理事室でパンゼラとコルトーのシューマン「詩人の恋」やモイセビッチのラフマニノフ第2番の協奏曲などのレコードを何度も聴いては感動しておりました。


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(中山悌一氏の音盤のジャケット)


(この項、次回に続きます)。






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