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2013年1月

2013年1月28日 (月)

わが心の自叙伝―横井和子先生がお書きになったもの 8

わが心の自叙伝  横井和子  第7回

四、上野の音楽学校へ

 あこがれの上野の音楽学校へ入学して、制服の紬(つむぎ)の紋付とお納戸(なんど)色の袴(はかま)を作ってもらい、私は寄宿舎に入りました。寄宿生は授業の始まる前の早朝と放課後、学校の練習室で勉強することになっておりました。冬でも火気厳禁なので坐骨神経痛を起こしたりしましたが、それもあまり苦にならないほど私は張り切っておりました。

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 当時は週二回レッスンがあり、井口先生のご配慮で、私は作曲科の小林福子様と同じ時間でした。彼女は早くから井口基成先生と愛子先生ご兄妹に師事されていて、ピアノ科の私よりはるかに実力があり音楽的な感性豊かな方で、私は良いお友達にになって頂くとともに、音楽の上でどれほど素晴らしいお手本を示して頂いたことでしょう。

 彼女は卒業後、日本ではじめての自作自演による協奏曲の夕を日比谷公会堂で開かれましたが、私もその美しいソナタを何度もリサイタルで弾かせて頂き、心から感謝しております。

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 在学中、特待生として月額八円を学校から頂き、楽譜は図書室から借り出して、時々井口先生がレッスン室をあけておいてくださるので内証で、ベヒシュタインやスタインウエイのグランドピアノを弾かせて頂き、弦を切ってしかられたことなど思い出はつきません。


 土曜日にはよく奥様の秋子先生にきいて頂きに先生のお宅に伺い、お二人の全然異なった音楽の個性や雰囲気に触れさせて頂きましたが、今考えますともったいないほど幸せなことでした。

 私の受験曲をきめて下さる時も、それぞれ違う曲を主張なさり、結局、秋子先生のご意見の通りになったこと等(私もその方が弾きたかったのでしたが)ほほえましく懐かしく思い出されます。


 同級生だった岡部多喜子様、小鳥居尊様(現栗本尊様)方の伴奏で長坂好子先生、ヘッサート先生のレッスンを受けたり、合唱でベートーベンの第九交響曲やモーツァルトのレクイエムを歌ったこと等忘れ難い思い出です。

 ピアノ科にはレオニード・クロイツァー、レオ・シロタの両教授もおられ活気に満ちておりました。


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(レオ・シロタ教授)


以下、次回へ続きます。









































2013年1月14日 (月)

わが心の自叙伝―横井和子先生がお書きになったもの 7

わが心の自叙伝  横井和子  第6回

(前回からの続き)

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(レオニード・クロイツァー教授)


 私は、音楽学校を受験することになりましてから陸上競技部をやめさせて頂き、校内の音楽会でショパンの「スケルツォ第2番」を弾かせて頂いたり、クロイツァー教授のベートーベンの「ピアノソナタ」全曲の解説と演奏の連続講座に通ったり、祖母と一緒に神戸の海員会館で朝比奈隆先生のバイオリン、伊達三郎先生のチェロ、、東貞一先生のピアノによるトリオをきかせて頂いたりしながら、音楽への意欲に胸をふくらませておりました。


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(若い頃の朝比奈隆氏)


 そのころ私は須磨教会で阿部勝牧師から洗礼を受けましたが、阿部牧師は「私の祖父母も母も横井時雄牧師から洗礼を受けたのですよ」と話され、喜んで下さいました。

 弟も今津教会で棟方文雄牧師から洗礼を受け、神学部に進んで牧師になりたいと私に申したこともあったほど熱心なクリスチャンでした。私たちは両親との別れを、神が定めたもうたこととして受けとめるより他に心のよりどころがなかったのでした。

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(日本キリスト教団須磨教会。1909年/明治42年創立)


 弟は関西学院在学中、剣道三段でしたが母に似て美少年で、祖母にも私にも本当に優しくしてくれました。私たち姉弟は、祖母から父を頭に三人の年下の息子たちが、こよりで作った馬などで仲良く遊んだこと、早稲田から一高、帝大法科に次々進み、何の心配もなかったというような自慢話を聞かされながら、つつましく平和な日々を送りました。


 これも祖母の思い出ですが明治時代、勝海舟がよく祖父を訪ねてこられた時期があったとか。祖母は『かつあわ(勝安房)さん』と懐かしんでおりましたが、こちらは一向に興味がなく、今になって詳しく話をきいておけばよかったと、かえすがえすも残念に思っております。

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(晩年の勝海舟)


 その後、私たちは東京に出てからのある時期、両親のないみじめさを味わいましたが母方の身内が手を差しのべてくれて、弟は、母の一番上の姉の嫁ぎ先(司法大臣・塩野季彦)、私は二番目の姉の嫁ぎ先(夫は三菱取締役会長・船田一雄)のところで世話になり、東京音楽学校本科入学、やがて弟も慈恵医科大学にすすみました。



(続きは次回更新時に)


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