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2012年11月

2012年11月18日 (日)

わが心の自叙伝―横井和子先生がお書きになったもの 5

わが心の自叙伝  横井和子  第4回



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(前回からの続き)


 門下から市来崎のり子様(当時徳末義子様)、徳末悦子様(当時田中悦子様)、福永陽一郎様らが出ておられますが、穏やかなお人柄の中にひたむきで純粋な音楽への情熱を持たれた優れた先生で、私はご指導頂いたことを心から感謝しております。

 同門ということで市来崎のり子様という素晴らしい先輩にめぐり合い、後々まで道を開いて頂いたご恩を忘れることができません。


 後に私が東京音楽学校に入学いたしましたとき、増田先生にアナリーゼ(楽曲分析)の書き込んであるベートーヴェン後期のソナタや協奏曲第四番、ラフマニノフのソナタ第二番、ラベルのトッカータ等の楽譜を頂きましたが、当時にこれらの曲を勉強しておられたのは刮目(かつもく)すべきことと言わねばなりません。


 先日、奥様から、先生の書き残された「教職生活五十五年」という小冊子を頂きましたが、その中に、私が東京音楽学校に在学中、増田先生に「いくら努力してもしかられてばかりで、私は見込みがないようです」と申し上げたのを心配されて、わざわざ上京して井口先生にお会いくださった時のことを「『彼女は一番有望な生徒だ』といわれたので、帰って彼女を激励したものである」と書かれてあり、今さらのように先生の温かいお気持ちが身に染みたことでした。


 増田先生は中学校長を歴任された後に、武庫川学院音楽部講師を務められ五十八年(引用者注:昭和58年 1983年)四月、勲五等双光旭日章の叙勲を受けられ同じ年の十二月に永眠されましたが、「弟子にも恵まれ幸せな生涯だった」と奥様に感謝して亡くなられた由でございます。


 私はピアノだけでなく、ソルフェージュ(歌唱、聴音、リズムなど音楽の基礎訓練)や歌曲を教えて頂き、シューベルトやシューマンの美しいリードの弾き語りを楽しんだりしながら、音楽の中で心の痛みも和らぐ思いで夢中で勉強いたしました。


 女学校は神戸市立第一高等女学校に入学いたしましたが二年後に、弟が関西学院中等部に入りましたので夙川の若松町の借家に移り、私も西宮市立高等女学校に転校いたしました。


 この間にお友達もでき、スポーツにも熱中しバレーボールや、陸上競技では八十メートルハードルの選手になって甲子園で優勝したり、一方では若山牧水に心酔して和歌(短歌)や詩をつくったり、書道部に入ったり等しておりましたが、どうしても音楽の道に進みたいという気持ちを抑えることはできませんでした。


(続きます。次回更新時に!)

2012年11月12日 (月)

わが心の自叙伝―横井和子先生がお書きになったもの 4

わが心の自叙伝 横井和子 第3回

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二 増田 正先生


 広島から祖母に連れられて弟と私は、神戸の須磨にあった柳瀬家(祖母の実家)に落ちつきました。祖母の妹にあたる柳瀬廣(神戸女学院第七回卒業)は信仰心が厚く、洋装のよく似合う明るい人で、私たちを快く迎え入れてくれました。彼女の信仰心から屋敷内には須磨教会が建ち、テニスコートもある広い家でした。


 祖母は横井家に嫁いでから、先妻の遺児二人と三人の息子を育てる傍ら姑(しゅうとめ)の『つせ』に仕え、また曽祖父・横井小楠のもとで一生奉公した『寿加』が失明した老後をも世話する中で、海外生活の長かった祖父を支えて苦労の絶え間のない半生でした。


 そのうえに、老境にいたって二人の孫を養育せねばならなくなりましたが一言も愚痴をいわず、『汝(なんじ)思い煩うことなかれ、一日の苦労は一日にて足れり』など、聖書の言葉を教えてくれながら私たちを育ててくれました。夏の日差しに輝く須磨の海や神戸の山々が、心に染みいるように美しかったことが思い出されます。


 このような日、父がかわいがっていた警察犬の『京』(シェパード)が父の死後、えさを食べずに死んでしまったという便りが広島から届き、私たちはまた泣いたことでした。母の告別式の日に、えさをやるのを忘れて死なせてしまったカナリヤのことともに、忘れられない悲しい思い出です。


 やがて夏休みも終わり、私たちは西須磨小学校に通うことになりました。私は進学を間近に控えて、それまでに八回も転校しておりましたので担任の先生に「学力がわからない」と大変ご心労をおかけしました。ピアノも、西須磨小学校で音楽を担当しておられた増田正先生に教えて頂くことになりましたが、やはり転々と先生を変わっておりましたので、格別お骨折りおかけしたことと思いますが、お心にかけて導いて下さいました。


 増田先生は音楽学校のご出身ではなく、検定試験で教員の資格を取られた方でしたが、当時、宝塚管弦楽団の指揮者で神戸女学院音楽部の教授を務めておられたヨーゼフ・ラスカ氏に師事されて作曲、指揮、声楽、ピアノ等幅広く勉強されておられ、音楽性の豊かな方でいらっしゃいました。


(続きは次回に)

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