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2011年6月 5日 (日)

大田黒元雄著『バッハよりシェーンベルヒ』 その10

第3章 大田黒元雄著『バッハよりシェーンベルヒ』(3)


本文を読んでいきましょう。巻頭にはバッハ。ここには20世紀初頭の当時になお支配的だった、ドイツ中心の音楽美学、バッハが「音楽の父」である、とされています。現代のわれわれは「そんなことないよ。シュッツもモンテヴェルディもいるじゃん!」と突っ込みを入れることができますが、それも20世紀後半以来の音盤(LPステレオ)期の収録曲のレパートリーの拡大と、古楽や古楽器演奏に関しての研究と実践の飛躍的な成果があってこそです。生き生きとした演奏で「古楽」を楽しめる。記譜法がバッハの時代にようやく定まったのは確かですが、それならばいわば「記譜法の父」にすぎなくて、彼の前にも音楽はあり、バッハの中にはイタリアの音楽から学び取ったものがたくさんあります。


以下、本書より引用します。
「バッハ
絵画建築等の傑作は仮令二千年以前の作でも、猶(なお)今日芸術品として鑑賞するに足りるのに反して、音楽には不思議にも此の事がない。或る批評家は芸術品として価値を附する事の出来る音楽の生れたのは、僅々二百三十年程以前に現れたバッハ、ヘンデル両大家の偉業の発表以後であるとまで極言して居る。

バッハは普通に『音楽の父』と呼ばれる。ヘンデルが聖楽(オラトリオ)の創作に影響を与えたのに対して、バッハは彼以後の音楽といふものに最も純な影響を与へた。従って彼以後の大音楽家で彼の影響を受けないものはないと云ってもよい」。

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たしかにSPの時代(1900年から1940年代)は、一般の愛好家の世界にバッハが広められた「バッハ・ルネサンス」の時代だったといえるでしょう。古楽では「グレゴリオ聖歌」のSPがあったことを手持ちのSPの中から確認していますが、中世やルネサンスの音楽はSPレコード時代には知るかぎりでは見当たりません。(ご存知の方はご教示下さいますように)。


バッハに関しては豊かでした。カザルスの「無伴奏チェロ組曲」。ランドフスカのチェンバロによる「平均律2巻」や「ゴルトベルク変奏曲」など。シュヴァイツァーの「トッカータとフーガ」などのオルガン曲。エトヴィン・フィッシャーのピアノによる「平均律2巻」、ハイフェッツの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」。
SPの時代は「スター演奏家」の時代であり、SPもまだ普及し始めだった本書から四半世紀を経た『名曲決定盤』(あらえびす著 中公文庫)には、SPの名盤を演奏家ごとに紹介する形で編まれています。


西洋音楽の啓蒙普及に、まず役立つのは公衆の面前で演奏する演奏家の魅力です。SPの草創期には世界に名を轟かせていたソプラノ歌手、ネリー・メルバやテナー歌手、エンリコ・カルーソーらの歌声が自宅の蓄音機で聴けることになり、蓄音機と(高級機から普及機まで)とSPレコードの普及を推し進めました。米国ビクターのマスコットは「蓄音機からきこえる主人の声に耳を傾ける犬」です。「His Master`s Voice」。その通り、エジソンは人間の声を録音再生できる機械を作ろうとしたのが始めなので、初期のSPレコードは声楽のレパートリーが充実していて音もいい。


その次に音が良かったのは、人間の声と似たような音域の弦楽器です。チェロ、そしてヴァイオリン。レナーやカペーの弦楽四重奏も美しい。ピアノが若い頃のアルトゥール・ルービンシュタインがピアノ曲を試しに吹き込んだとき「なんだこれは。ぴあのじゃなくてバンジョーみたいじゃないか!」と吐き捨てました。彼は長生きしてLPステレオに名盤を残していますから幸運な生涯を生き切りました。


閑話休題。
大田黒元雄が本書を出したのは大正4年(1915年)。まだカルーソーやメルバの全盛期であって、一般のファンがバッハを聴くのは極めて難しい時代でした。その後、人気も実力もある名演奏家のSPレコードによって徐々にバッハの音楽が広がっていきます。最も大衆的な形でやってみせたのが、レオポルド・ストコフスキーです。彼はリストの「ハンガリー狂詩曲第2番」とともにバッハの「トッカータとフーガ ニ短調」をオーケストラで演奏しました。
大田黒さんも生きられたのは1893年から1979年と長生きされましたから、LPステレオのバッハを楽しまれたことと思います。ヴァルヒァやカール・リヒター、そしてレオンハルトが動き出して、グレン・グールドが出現して。


結びの部分を引用しておきます。
「個人としてのバッハは厳粛の中に親切と諧謔とを蔵してゐたと云ふ。作曲家としてのみ知られる彼は、前に述べた如く風琴家(オルガン奏者―引用者注)としても亦(また)異常な技倆を現はした。殊に彼に就て記憶さるべき事は、風琴の奏法を彼が革新した事である。彼以前の風琴演奏者が親指や薬指を用いなかったのに反して、彼は総ての指を動かすことを始めた。従って或る意味に於て彼は又「洋琴演奏法の父」とも見られる。

時代に依って音楽に対する思想も変化する。而(し)かも猶バッハは常に『音楽家のための音楽家』として日輪の如くに輝いて居る。シューマンは嘗て『宗教が其の開祖に負ふと同様の大なる負担を、音楽はバッハに対して有して居』」とまで云った。『音楽の父バッハ』の名は永久に忘れられないことであらう」。


付記。
戦後の昭和22年(1947年)に大田黒元雄は『西洋音楽物語』を音楽之友社から出しています。その本では音楽の歴史は「古代」から語り始められます。古代ギリシアからグレゴリオ聖歌。そして「中世初期」「中世後期」へ。その中にはパウル・ベッカーの説も紹介されています。「十七世紀の音楽」でモンテヴェルディやシュッツらが紹介されて、次章「十八世紀前半」にようやくヘンデルとバッハが登場します。


蛇足。
バッハ以降をわれわれの「近代音楽」と捉えるスパンは、ありそうです。しかし、そのことについては、またいつか。それではまた、次回更新時に。


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コメント

大田黒氏の視点を興味深く読ませていただきました。ありがとうございます。

私は子供のころ、父とバッハ平均律クラヴィーア曲集を分担奏で弾き、バッハのとりこになりました。

拙著『やわらかなバッハ』春秋社をご紹介させていただきます。

従来の切り口とは全く異なるバッハ論です。

ますますご活躍のほどを。

読んで下さってありがとうございます。
あなたのご本『やわらかなバッハ』春秋社を是非読ませて頂きます。
太田黒さんのこの論はおよそ100年前の若書きですが、当時の日本の共通認識だったようです。ドイツ中心が優勢になってました。そこで、この本で太田黒さんがとりわけ熱を込めて書いたのがロシアやフランスの当時の音楽家です。シェーンベルヒまでの旅路をいましばらくお楽しみ下さいますように。

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