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2011年3月13日 (日)

臨時のお知らせ

芦屋・山村サロンで「東北地方太平洋沖地震 チャリティ・コンサート」を開きます。

サックスの野田燎さんと僕は、ともに阪神淡路大震災に被災しました。震災直後に「ともに立ち上がる」ためのチャリティ・コンサートを開いたことも、今回なまなましく思い出します。

【 特 別 公 演 】
東 北 地 方 太 平 洋 沖 地 震 チ ャ リ テ ィ ー コ ン サ ー ト

出演/野田燎(サックス)、山本京子(ピアノ)、他

2011年3月11日、日本は「東北・関東大震災」というかつて体験しなかった規模の地震・津波災害に見舞われました。現地は未だ救援の手さえ届かない地域もあります。
このようなとき、阪神淡路大震災を体験した私たちにできることのひとつは、私たちの志あるお金を集めて被災地へ届けることです。サックスの野田燎さんも被災から立ち上がって「音楽療法」を確立した音楽家です。生命の深源へ届く音楽の祈りが、被災地まで響きわたりますように。
曲目は、広く知られた名曲・名旋律ばかりです。

2011年 3月20日(日)
開場/午後1時半 開演/午後2時
※入場無料/義援金を募ります。金額自由

主催・会場・お問合せ/芦屋 山村サロン
JR芦屋駅前 ラポルテ本館3階  ☎0797-38-2585

お知らせの文面は以上ですが、3月25日にはイェルク・デムス氏のリサイタルも行われます。
http://www.y-salon.com/event.htm


野田燎氏についての紹介文まで、今日の話し合いで緊急に作った告知ちらしには載せられませんでした。
「山村サロン会報 Vol.42」から転載します。


「力と手段と表現と」というテーマは、音楽家/野田燎さんについて語るときにも、非常に多くのモティーフを与えてくれます。変節が変節でなく、一本の筋道を行くための変容であり、1948年生まれ、還暦を過ぎられた今、ながれる川筋は、より水量を豊かにして「結局はひとつ」の音楽を奏でておられます。

最近では「音楽運動療法」の先生として、その療法が成果をあげた井上智史さんとともに、2009年9月9日放送のフジテレビ系列「ベストハウス123」に出演されたことが「全国発信」の登場でした。しかし、若い頃のサックス奏者/作曲家としての野田燎さんを覚えておられる方には、驚き以外のなにものでもなかったのではないでしょうか。

かつて野田さんは、飛ぶ鳥を落とす勢いの若手サックス奏者/作曲家でした。今も「現代音楽のスペシャリスト」として、「有名な独奏曲 インプロヴィゼイション」の作曲者としての彼を語るサックス・ファンがいます。

野田燎さんは1972年大阪音大を卒業後、米国ノースウェスタン大学院へ留学。のち渡仏しボルドー音楽院で学び、1974年「フランス作曲家協会賞(管弦楽曲)」受賞。1975年仏政府公認作曲家演奏家資格取得。以後パリに住み、欧州各地の音楽祭や放送に出演。日本でもNHK・FMや、民放「題名のない音楽会」(当時は黛敏郎氏が司会)にたびたび出演。教師としてもパリ音楽院、バーゼル音楽院、ノースウェスタン大学など欧米の大学から招かれており、パリの現代音楽センター IRCAM には、日本の現代サクソフォーン作品を紹介するために招かれました。
また作曲では、仏国文化省、教育省委嘱によるバレエ、劇、視聴覚教育などの教育作品の上演、NHK放送文化基金講演助成や、フランス放送局ならびにパリ市近代美術館委嘱作品『清経』を上演。その後、ニューヨークとモントリオールの上演。1987~88年の米国、仏国での公演は「ニューヨークタイムズ」「ル・モンド」両紙で高く評価されました。

帰国は1986年でした。奇しくも山村サロンを開いた年です。三宅榛名さんと高橋悠治さんで幕を明けたサロンは、ほどなく私と同じく現代音楽が好きな人を寄せて、鬼塚正勝さんの企画で「ETWAS NEUES Ⅳ 吉岡紘子 + 三木稔」が開かれました。ゲストに呼ばれたのが『ベロ出しチョンマ』のバリトン/山田健司さんと、『秋の曲』のソプラノ・サックス/野田燎さんなのでした。1990年1月9日です。

当時の「会報」で、私はこんなことを書いています。 「野田燎氏は、もともと尺八のために書かれた曲をソプラノサックスで吹かれました。はじめからおわりまで、音色と楽器の限りをこえて、ただ美しい響きに場内は満たされました。楽器を感じさせない音楽」。

野田燎さんを聴くのは、それが初めてのことでした。以後、私は独自に働きかけて彼を「バッハ・シリーズ」などにお招きすることになります。しかし、その頃すでに彼は徐々に着実に、彼の「音楽運動療法」を完成させていきます。震災前年の1994年11月24日、私も手伝いに行った『病める不死鳥』公演を大阪・いずみホールでやったあと、震災後には1995年9月23日にサロンで『立ちあがるためのコンサート』。その後いくつかのコンサートを開き、野田燎さんが初めて療法の著しい成果をあげた井上智史さんのために『井上智史 書と絵画展』を開いたのは、1998年12月18~20日のことでした。

震災以後、野田さんは震災直後、生埋めになった人びとを素手で引き出され、そのなかにはもう助かりようのない人たちもいて精神に打撃を受けます。睡眠障害と自己の無力感にさいなまれ「音楽家の生き方」を問う毎日が続いたといいます。
そんなとき、ふとサックスを手にとり『サマータイム』を吹くと「自ら吹き、聴き、音の美しさに打たれ、身体中の悲しみを涙で流し落としました。サックスのすばらしさとともに音楽家である自分に誇りと喜びが蘇ってきました。この間の苦しい体験を生かすのは音楽運動療法の実践だと悟りました。音楽家がひとりの命を救えるならば、拍手喝采を受けるステージよりも生き甲斐がある」。

そして2008年1月27日、サクソフォン・ソロ・リサイタル『戦いと平和』で、野田燎さんはサロンに復帰されます。2月17日以降、原則として毎月『野田ファミリー・コンサート』が開かれることにもなりました。かつての「現代音楽の寵児」としての諸々はもう、どうでもいい。音楽家としてのステージを駆け登ることにもなんの興味もない。いっぱいのお客さんを前にしての拍手喝采などは、もういらない。もはや動かない生き方を定めた野田さんは、いっそすがすがしくもありました。

彼の音楽家としての力はまさに巨人的なものがあり、サックス一本で、大オーケストラに負けない迫力と人の心に浸透していく最高の音楽が奏でられます。なによりも、そのサックスが障害を負うひとりひとりの人生を救ってきた。音楽の不思議は、演奏行為しだいで生き死にしますが「音楽運動療法」の研究と実践をつうじて、野田燎さんば「自分を生かし、ひとを生かす」音楽への一本の道を探り当てられました。
復帰後も折にふれて「現代音楽」時代の作品を吹かれます。ミニマル・ミュージックが作曲家としての基本にあります。やはり、とても美しい。

野田ファミリーとは、「音楽運動療法」に関わる若い音楽家、また大阪芸大の学生たちによるアンサンブルで、いずれのコンサートにも野田さんの「教師」としての力が及び、場数をかさねるごとに練れてきています。それにしても「音楽運動療法家」の医学博士でもある野田燎さんが企画されるこのシリーズ、ときには野田さんのソロ・リサイタルもあるこの音楽会シリーズは、私にはいろいろな意味で重要な意味があると思えてなりません。ほかに書く人もいないので、私が書いておきます。


「山村サロン会報」の最新のものもHP載せました。ご紹介まで。(上の項はこの一覧の中のVol.42です)。
http://www.y-salon.com/review.htm


近々「大田黒元雄著『バッハよりシェーンベルヒ』」を再開します。
澤田柳吉について、いろいろと調べました。いま少しのお待ちをば。

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