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2010年9月22日 (水)

大阪シンフォニー その3

小田実『大阪シンフォニー』にちなむバス・ツアー。
小田さんが少年時代によく遊んだ、歩いた、という四天王寺も猪飼野も、桃谷の瀟洒な洋館に住む日本人の少年にとっては「まるで別の世界」=「異界」の迷路をさまよい歩くかのごとくだったことでしょう。四天王寺は西方浄土への入り口がある場所。猪飼野 コリアタウンは隣国であれ別の言語や文化、風俗で生きている人たちが住む異国。

小田さんが高校を卒業するまで住んでいた桃谷の実家のあった区画は、現在マンションが建ち面影すらありませんが、僕はその家へ1995年の春から秋口までしばしば訪れていました。地震後の小田さんの家族の疎開先であり、その家が「市民救援基金」の基地になっていました。

2階に小田さんの少年時代に過ごした部屋があり、梁には白い塗料で書かれたVivre? les serviteurs feront cela pour nous(生活?そんなものは家来どもに任せておけ)というフランス語が記されていました。ヴィリエ・ド・リラダンの遺作『アクセル』の一節です。リラダンは大貴族の家系に生まれたにもかかわらず貧乏な詩人であり、ボヘミアンでした。僕がリラダンを好きになったのはスタイリッシュな齋藤磯雄訳でしたが、小田さんが読んでたのはもちろんそれより古い渡辺一夫訳だったでしょう。これ、リラダンですね、というと小田さんは相好を崩されて「そうや、リラダンや!」。

死を「見えないもの」と感じて「見たい」と望む芸術家は、ロマンティックになります。神秘主義へも赴きます。未来を見たいと望むあまたの種類の占いの信奉者も同じくです。人はいずれ死ぬ。それ以外の事実はなくて、人は誰も現在を正面突破して生きていくほかはないのに。

小説家 小田実はリアリストでした。12歳のときにアメリカの執拗な大阪空襲の仕上げの1トン爆弾が炸裂した8.14大阪大空襲に生き延び、直後のまだ煙が上がる焼け跡で燃やされた遺体を瓦礫の中から引きずり出し、無数の黒焦げの死体の山を前にして、噴き上げてくる怒りを覚えました。小田さんのすべてはここに根差しています。文学も、市民運動も。頭でっかちのイデオロギーなど、彼には初めからありませんでした。


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砲兵工廠跡。大阪城公園のなかにあります。事実上戦争は終わっていたのに、ポツダム宣言を受諾しなかったためにアメリカが非戦闘員 市民を大量虐殺するために行なった8.14大阪大空襲の爆心地。小説『大阪シンフォニー』では、父親をその空襲によって殺された少年が、日本とアメリカの二人の元首を「殺したい」と呻くように洩らします。下図は現在の砲兵工廠跡。京橋の高層ビル群のあたりまで、日本軍の兵器工場は広大な面積を持ち広がっていました。


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