最近のトラックバック

« 夜と朝の間に その3 | トップページ | 詩について その1 »

2010年8月22日 (日)

夜と朝の間に その4

深夜、ものみな寝静まるとき。この「夜と朝の間」の時間の魅力を知ったのは、中学生のころでした。AMラジオの深夜放送を聴くのが、なんか禁忌を犯してるようで、なんかパーソナリティと共犯してるような快楽で。より能動的に深夜に本を読み、自分のことばを書きつけ始めたのは高校生になってからです。家の中で僕ひとりが目覚めていて、いろいろな束縛から解かれて、完全な自由を得てる。小学校高学年から学校が嫌いで、中学はなんとかやり過ごしてたものの、高校になれば学校嫌いは決定的なものになってました。

しかし、満15歳。高校生の少年に何ができる?
できることの高(タカ)は知れていました。学校の図書館で本を借りまくって、ジャンルを問わず本を読むこと。あるいは限られた小遣いのなかから、レコード(LP)と文庫本を渇望にしたがって安く求めること。僕は僕に似た魂に会いたかった。高1、高2とあらゆる小説、詩、哲学と読み進め、高3の7月、「そんなんじゃないよ!」とばかり、僕は猛然とことばを書きだしました。それも、幾夜の「夜と朝の間」の時間に。

アルチュール・ランボーの詩が、まず僕を突き刺しました。高校時代の未発表詩編には「酔いどれ船」を模したものがありました。彼の「錯乱」の思想。あらゆる価値が転倒し、無効になり、新しいものを見抜く「見者」になる、ということ。いま、それが僕の体のなかに甦っています。

人間と人間の間に横たわる、あらゆる壁を突き破りたい。
人間と人間は競い合ってたのしむことがあっても、殺しあう理由も根拠もどこにもない。
僕は誰。強いの?弱いの?そんなことはどうでもいいよ。
むしろ存在の理由と根拠を、属する集団に求めることを不潔と思う。
僕は、たったひとりで、天地の間に立つ。
およそそんなことが、17歳の僕の個人的な自分に言い聞かせた宣言でした。
ポール・ニザンだったと記憶しますが「17歳。美しい季節だとは誰にも言わせない」。

「夜と朝の間」の時間には、上京後に詩人やその周りにいた人たちの遊ぶ酒場で、いろいろなことを僕は学びました。昼も夜も、お酒の入った「きちがいお茶会」で、瞬時の価値の転倒、秩序の破壊など日常茶飯事。新宿は僕の故郷の重要なひとつです。またおずおずと、詩を書くんだろうな、と思われます。受身尊敬自発可能の助動詞の、これは自発。どんなことばになりますやら。

« 夜と朝の間に その3 | トップページ | 詩について その1 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 夜と朝の間に その4:

« 夜と朝の間に その3 | トップページ | 詩について その1 »

twitter

  • twitter
2024年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ